六道の堤の桜
2016年 04月 15日
他ページより引用
◎ 六道の堤の歴史:
1848年、高遠藩主の内藤頼寧が池上三右衛門、清水兵作らに命じ、六道原(伊那市美篶)の開墾・開田を実施。同年 10月、野笹村(同市高遠町長藤)の藤沢川から引水し、六道原まで約 10キロの水路が完成した。1851年 9月、堤が完成。末広村(同市美篶末広)の開発や六道原の開田につながった。
くしくも苗字が私と同じ方の名前が出てきましたね。
父親は伊那市の出身なので、多分祖先は高遠藩だったことでしょう。
撮影日は9日、もうちょっと強い日差しが欲しかったのですが、贅沢は言えません。
昨日も、通りすがりに見たのですが、何とかギリギリ見られますが、写真撮るには遅い感じでした。
◎ 六道の堤の歴史:
1848年、高遠藩主の内藤頼寧が池上三右衛門、清水兵作らに命じ、六道原(伊那市美篶)の開墾・開田を実施。同年 10月、野笹村(同市高遠町長藤)の藤沢川から引水し、六道原まで約 10キロの水路が完成した。1851年 9月、堤が完成。末広村(同市美篶末広)の開発や六道原の開田につながった。
くしくも苗字が私と同じ方の名前が出てきましたね。
父親は伊那市の出身なので、多分祖先は高遠藩だったことでしょう。
撮影日は9日、もうちょっと強い日差しが欲しかったのですが、贅沢は言えません。
昨日も、通りすがりに見たのですが、何とかギリギリ見られますが、写真撮るには遅い感じでした。
by nick-3
| 2016-04-15 07:35
| 木の花